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数学と社会の架け橋<数学月間>

7月22日--8月22日は数学月間(since2005)です.日本数学協会は,2005年に,7月22日ー8月22日を数学月間と定めました.この期間は,数学の基礎定数 π(22/7=3.142..) とe(22/8=2.7..) に因んでいます.この期間に,数学への関心を高めるイベントが各地で開催されるよう応援しています. The period of July 22nd to August 22nd was set as "Maths Awareness Month of Japan" by the Mathematical Association of Japan (MAJ) in 2005. These dates are derived from two mathematical constants: Archimedes' constant pi(22/7=3.14) and Napier's constant / Euler's number e(22/8=2.7). Maths Awareness Month of Japan is run on a voluntary basis by the Maths Awareness Council. During this period we support various events for raising the awareness of maths throughout the country.

2014年12月

私は,2012年2月26日に,法政大学で開催された「岩崎鬼剣舞」を見てきた.
岩手県北上市に1300年続くといわれる伝統芸能である.6種の剣舞が披露された(○番庭と名前がついている).庭元(家元の呼び名)がおり,子供から大人まで参加し,芸能の継承が上手くなされている.リーダーは白面(リーダーになるのはとても厳しい.一人加護の剣舞が許される)である.表題の映画は村人達のドキュメントである.
(「岩崎鬼剣舞の一年」三宅流監督がポレポレ東中野でロードショー中)
宮沢賢治が「農民芸術概論綱要」で,「農民芸術とは・・・・・そは人々の精神を交通せしめ その感情を社会化し遂に一切を究竟地にまで導かんとする」と述べた「究竟地」である.(ちなみに,私は宮沢賢治学会員です)

剣舞(けんばい)の黒面の眼はらんらんと 長くて赤き指の魔力よ(克彦)

私の知る世界は、象牙の塔とまではいかぬが、プラスチックの塔の窓の隙間から、片目で覗き見た程度の狭いものだ。それでも、昭和20年代の子供は、町内に種々の生産現場を見聞できた。野菜も栽培したし、鶏も飼った。父は対物レンズを作っていて、エーテルやトリクレンの匂いがした。隣の畳屋さんは、つるしたヤカンから口に水を含みプッーと霧をはく。商店街の豆腐や、肉やのコロッケ、鋳掛けや、石焼いもや。香具師の口上、蛇やが薬を売り始めるまでのプロセスを半日見ていたこともある。廃棄物処理に関しては、汲み取りやさんも来たし、生ゴミは庭に穴を掘って埋めた。これに引き換え、現在の都会は消費だけの町、生産は見えないところで行われ、物品は運ばれて来る。廃棄物処理も、見えないところでなされる。つまり、自分の目の届かないところに行ってしまえば、何事も知らん顔ができる。下請けの責任逃れの構造がそこにある。鶏が殺され肉になる所を見なくても、スーパーで肉を手に入れることができる。自分で手を下さぬ下請けの構造が、環境汚染を進めている。

昭和20年東京地図(文:西井、写真:平嶋)筑摩書房は、私の愛読書。最近はあまり時間がないが、私は、町を探検するのが好きだ。昭和20年代は、子供にとって、東京は不思議な街だった。一寸、街角を曲ったとたんに、帰れなくなってしまう怖い夢を時々見ました。新宿の街も浮浪児がたくさんいたし、ガード下の傷痍軍人がアコーデオンを弾いていた。母とデパートに行くとき、通りながら私が洗面器にお金を入れるのが常だった。三越の食堂でクリームソーダを飲み、屋上から下の通りを見る。私は、小学校の国語の教科書で、“コペル君の日記”というのがとても印象に残っている。コペル君がデパートの屋上から下の通りを見て、人間が分子のようだと実感する所です。自分の体験に重なるからだろう。コペル君の日記の出典が、吉野源三郎の“君たちはどう生きるか”だということがわかったのは、ずっと新しい。大学生の頃、偶然聞いたNKHの朗読の時間に、雨の日のデパートの屋上のあの場面が放送されていたのである。小学5、6年生の時の担任の先生(炭鉱や砂利取り労働の話を時々した)は、私の日記に考え方を書き込んでくれた。先生のペンで書いた文章の方が、私が書いた部分より長いくらいだ。今でもそのノート2冊は私の宝物である。これもコペル君の日記に親近感をもった理由だろう。続きを読む

民放TVから天気図が消えていた時期があった気象予報士は占い師のようだ。予報の根拠となる天気図や高層天気図を示し解説して、国民が天気図を読めるようになることの方が望ましいと思う。ここまでは昔の日記の引用だ。天気図に関しては最近はだいぶ改善されたようだが、今度はそれどころではない。秘密保護法という恐ろしいものが浮上してきた。結果だけ宣告されても困る。国民が考えることのできるように情報は公開すべきだ。

私は、ソビエト映画を良く見た。同僚教師Kさんと見たシベリア物語では、シベリアの生活の中で音楽活動をする挫折した音楽家に感動した。それは自分にも研究と教育の葛藤があったからだ。ピロスマニ(グルジア)、ジプシーは空に消える(モルダビア、モスフィルム)など、哲学的な洒落た台詞が多い。
「朝は早く起きろ。夕暮れはいやでもやってくる。」「悠然と生きろ。いつか死ぬ時が来る。」(ジプシーは空に消えるより)これは、寝坊な息子への嫌がらせを兼ね、我が家のトイレに張ってあります。

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